長崎大学薬学部

沿革

分析窮理所とゲールツ(長崎大学附属図書館所蔵)

分析窮理所とゲールツ
(長崎大学附属図書館所蔵)

創立100周年記念会館 (柏葉会館,手前),薬学部校舎(奥)

創立100周年記念会館 (柏葉会館,手前)
薬学部校舎(奥)

長崎は江戸時代の鎖国にあっても唯一世界に開かれた場所であり、世界から発信された情報は長崎を経由して日本国中に広まった。シーボルトやポンペなどの努力により、西洋の科学、なかでも医学・薬学が長崎に誕生し、急速に発展した。長崎の医学校、養生所の二代目オランダ人医学教師として、1862年(文久二年)に来日したのがボードウィン(Bauduin Antonius Franciscus)であった。ボードウィンもポンペの教育方針を継承して、医学と同時に理化学も教えた。また、ボードウィンは物理、化学の教育を医学教育から切り離して独立させることを幕府に進言し、1864年(元治元年)8月、養生所内に隣接する場所で分析窮理所の建設が始まった。窮理は物理のことで、分析窮理所とは理化学校という意味である。分析窮理所は1865年(慶応元年)に完成し、養生所は精得館と改称された。ボードウィンはこの分析窮理所に理化学専門教師としてオランダからハラタマを招くこととし、ハラタマは1866年長崎に着任している。分析窮理所での教育は、我が国の近代理化学の発祥とされ、現在の長崎大学薬学部の源流となり、その精神は明治23年(1890年)に設立された本学の前身である第五高等中学校医学部薬学科にも引き継がれ、今日まで百有余年の聞、脈々と生き続けている。その間、第五高等学校医学部薬学科、長崎医学専門学校薬学科、長崎医科大学附属薬学専門部と、幾度か大きな変遷を受けてきた。


  中でも特筆すべきは昭和20年(1945年)8月9日の被爆経験であろう。原子爆弾による被災によって、校舎は崩壊し、大勢の尊い犠牲者を出した。これにより廃校や他大学への移管等も検討されたが、教員、学生、卒業生などの献身的な努力によってこの危機を乗り越え、昭和24年(1949年)に新制長崎大学の薬学部となった。昭和42年(1967年)、薬学科に加えて製薬化学科が設置されて二学科制となり、さらに昭和61年(1986年)には薬科学科に改組し、医療薬剤学、医薬品設計学、保健衛生薬学、医薬品資源学の4大講座からなる一学科制となった。平成18年度からは、薬学6年制がスタートし、研究者育成を目指す4年制学科(薬科学科)と臨床薬剤師育成を目指す6年制学科(薬学科)の2学科からなっている。


  一方、大学院薬学研究科修士課程薬学専攻は、昭和40年(1965年)、薬学部を基礎学部として発足し、その後、昭和46年(1971年)には修士課程製薬化学専攻が設置され、さらに昭和61年(1986年)に博士課程が設置されたことに伴って、上記2専攻を医療薬科学専攻(博士前・後期課程)へと改組した。 また、平成11年(1999年)には医療薬学教育の充実を目指して、臨床薬学専攻(独立専攻、博士前・後期課程)が設置され、従来の医療薬科学専攻は薬科学専攻に改称された。平成14年(2002年)より、薬学部、医学部、歯学部の各大学院は、再編統合して、医歯薬学総合研究科(薬学系博士前期課程2年、薬学系博士後期課程3年、医学・歯学系博士課程4年)となり重点化された。これを機に、各学部間の交流や関連する複数の研究室による共同研究、プロジェクト研究などが活性化され、薬学部においても、より高度な教育、研究体制の整備拡充、幅広い視野をもつ薬学研究者の育成に意欲的に取り組んでいる。


        
西暦/
和暦
事項
1823/
文政6

蘭館医シーボルト来崎
1825/
文政8

ビュルガー(薬剤師)着任
1865/
慶応元

分析窮理所設立
(長崎大学薬学部の源流)
1866/
慶応2

分析窮理所にハラタマ理化学教師着任
1869/
明治2

長崎府医学校にゲールツ着任(後に日本薬局方初版起草)
1876/
明治9

長崎司薬場設置司薬監督にエイクマン就任
1890/
明治23
6月 第五高等中学校医学部に薬学科創設(6月18日)
(医学部と学科が分かれる。長崎大学薬学部の起源)
1894/
明治27
9月 第五高等学校医学部薬学科と改称
1901/
明治34
3月 長崎医学専門学校薬学科と改称
1923/
大正12
4月 長崎医科大学附属薬学専門部と改称
1945/
昭和20
8月 原子爆弾投下教授以下職員8名,学生38名死亡
一切の建物倒壊炎上
1949/
昭和24
5月 新制長崎大学薬学部として発足
1951/
昭和26
3月 長崎医科大学附属薬学専門部廃止
1956/
昭和31
4月 薬学専攻科設置
1965/
昭和40
3月 薬学専攻科廃止
1965/
昭和40
4月 大学院薬学研究科修士課程薬学専攻設置
1967/
昭和42
4月 薬学部に製薬化学科設置
(薬学科および製薬化学科の二学科制となる)
1971/
昭和46
4月 大学院薬学研究科修士課程製薬化学専攻設置
(薬学専攻及び製薬化学専攻の二専攻制となる)
1972/
昭和47
5月 薬学部に附属野母薬用植物園設置
1976/
昭和51
3月 薬学部に附属島原薬用植物園設置
1986/
昭和61
4月 薬学研究科に医療薬科学専攻(博士前・後期課程)設置
(薬学専攻及び製薬化学専攻を改組)
薬学部の薬学科及び製薬化学科を薬科学科に改組し,
1学科4大講座制となる
1986/
昭和61
6月 計測・分析センター設置
1988/
昭和63
12月 中国薬科大学中薬学院と学術交流協協定締結
1989/
平成元
10月 上海医科大学薬学院と学術交流協定締結
1997/
平成9
11月 附属島原薬用植物園廃止
1998/
平成10
4月 機器分析センター設置(計測・分析廃止)
1998/
平成10
10月 ライデン大学と学術交流協定締結
1999/
平成11
3月 チュラロンコン大学薬学部と学術交流協定締結
1999/
平成11
4月 薬学研究科に臨床薬学専攻(博士前・後期課程)設置
薬学研究科医療薬科学専攻を薬科学専攻と改称
2002/
平成14
4月 薬学研究科を医歯薬学総合研究科に改組
2006/
平成18
4月 薬学科(6年制)、薬科学科(4年制)を設置
地域薬剤師卒後教育研修センター設立
2010/
平成22
2月 下村 脩博士ノーベル化学賞顕彰記念創薬研究教育センター設立
2012/
平成24
4月 医歯薬学総合研究科に生命薬科学専攻(博士前期・後期課程)および
医療科学専攻展開医療薬学講座(博士課程)設置
2013/
平成25
12月 台北医学大学と学術交流協定締結
2015/
平成27
4月 医療薬学系研究室が坂本地区へ移転
2016/
平成28
4月 育薬研究教育センターを設立
2020/
令和2
6月 ニューメキシコ大学薬学部と学術交流協定締結
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