下村脩名誉博士顕彰記念館

研究の原点は長崎大学
ノーベル賞研究の原点、長崎大学
 「・・・私は終戦と同時に中学卒業となり、上の学校に行くためにいろいろ努力しましたが、どこも受け入れてくれませんでした。2年が経ち、途方に暮れていたところ、自宅近くに原爆で破壊された長崎医科大学附属薬学専門部(現在の長崎大学薬学部)の仮校舎が移ってきたのです。私はそこに偶然受け入れてもらいました。そして、ここで学んだ事が、将来の化学研究の道を決定づけたのでした。・・・」
平成19年10月20日 長崎大学薬学部地域薬剤師卒後教育研修センター講演会
化学研究の基礎、長崎大学
 下村先生は、長崎大学の安永峻五教授のもとで、化学者としての第一歩を踏み出しました。戦後の混乱期、十分な器具も揃っていない状況でしたが、さまざまな手法を創意工夫して開発し、化合物の分離分析に関する研究を進めました。その研究成果は、学術論文として発表されています。
生物発光との出会い
 内地留学先の名古屋大学で、他の研究者が長年費やしても不可能であったウミホタルルシフェリンの結晶化に初めて成功しました。その結果が認められ、留学した先のプリンストン大学で、オワンクラゲの生物発光についての研究を始められました。そこで、イクオリンと緑色蛍光タンパク質(GFP)の2つのタンパク質を発見しました。
"どんな難しい事でも、努力すれば何とかなる。
絶対に諦めないで、最後まで頑張ろう。
不断の努力が生んだ「偶然の」発見
 当時、光る生物はルシフェリンとルシフェラーゼによって光る(ホタルと同じメカニズム)と考えられていました。しかし、下村先生は、発想の転換から1962年に青色発光タンパク質「イクオリン」を発見しました。イクオリンの精製中に、緑色蛍光を示すタンパク質も発見しました(後にGFPと命名)。
 その後、イクオリンは青色に光るのになぜオワンクラゲは緑色に光るのか?という疑問から、光るメカニズムを明らかにするために研究を続けました。毎年夏には、家族やスタッフ総動員でクラゲを採集し、ついには12年後の1979年にGFPの発色団(光のもと)を明らかにすることができました。 その後、Martin Chalfie 博士がGFPを使って生きた生物を光らせる技術を開発し、Roger Tsien 博士がGFPを多色に改良しました。それらの研究の成果で、HGFPは現在の生命科学研究になくてはならないツールとして活用されています。
原著論文
 下村博士が初めて投稿された論文を始め、ノーベル賞の受賞事由となった論文などを展示しています。長崎大学在学時代には、恩師である安永唆五教授(薬品分析化学教室)のもとで、無機金属の分離技術の開発に関する研究に携わられ、その成果が、共著にて日本薬学雑誌に原著論文6報及び寄稿1報として投稿されています。
ノーベル賞関連資料
 ノーベル財団や共同通信の提供を受け、ノーベル賞受賞式及び受賞講演の際の写真パネルを展示しています。また、下村博士の提供によるノーベル賞のメダル写真や、賞状のパネルも展示しています。さらに、実際にノーベル賞受賞式で参加者に配布された案内や式次第、晩餐会の席次表などの資料も展示しています。さらに、ノーベルメダルと賞状のレプリカが平成22年4月に加わりました。
  下村先生の GFP の発見から40年後、ノーベル化学賞受賞につながりました。