薬学での研究の進め方
―「薬(やく)の倫理」を原点に、対話(Dialogue)と協働、AIを活用した研究へ―
研究とは、単に実験を行い、データを集め、論文を書くことではありません。自ら問いを立て、科学的に考え、他者との対話(Dialogue)を通して理解を深め、新しい知識を生み出す営みです。 私たちが薬学で研究する目的は、研究成果を挙げることだけではありません。「人や社会のために、自分たちは何をすべきなのか」を問い続け、今、救えない患者さんや未来の患者さんのために行動することにあります。これが、私の考える「薬(やく)の倫理」の実践です。 研究には、科学的な知識と技術だけでなく、主体性、誠実さ、他者を尊重する姿勢、そして失敗から学ぶ力が必要です。AIが急速に発展する現在だからこそ、自ら考え、判断し、研究に責任を持つことの重要性は、ますます高まっています。
しかし、研究室に入ったときから、十分な知識や研究力を備えている必要はありません。私自身も、研究を始めた頃は分からないことばかりでした。 先生方や先輩方に教えられ、支えられながら、少しずつ研究の面白さや奥深さを理解するようになりました。そして、その過程で、教えられたことを学ぶだけでなく、自分自身の頭で考えることの大切さを学びました。研究は、分からないことに向き合い、失敗や試行錯誤を重ねながら、少しずつ成長していくものです。
大切なのは、自ら考え、挑戦し、困ったときには一人で抱え込まず、仲間や教員と対話(Dialogue)することです。ただし、実りある対話(Dialogue)のためには、自分の研究課題に関連する論文を十分に読み、先行研究を理解したうえで、自分なりの考えや疑問を持って臨む姿勢が必要です。互いに学び、考えを持ち寄り、科学的な議論を重ねることで、新しい発見や研究の発展につながると考えています。
ここに記したことは、私自身がこれまでの研究や教育を通じて学び、考えてきたことです。決して完成された答えではありません。時代や社会の変化、そして学生の皆さんとの対話(Dialogue)を通じて、これからも学び、考え、書き換えていきたいと思います。
1.研究テーマの選択 ― なぜ、その研究をするのか
① 自分が興味を持ち、主体的に取り組める問いを見つける。 研究は長い時間を要します。困難に直面しても考え続けられるように、自分自身がその研究に意義と面白さを感じることが大切です。
② 何が分かっていて、何が分かっていないのかを明らかにする。 関連する原著論文を調べ、先行研究の成果と限界を理解します。研究の新規性(Novelty)は、単に新しい材料や技術を使うことではなく、これまで答えられていなかった重要な問いに取り組むことにもあります。
③ その研究が誰のために、何に貢献するのかを考える。 薬学研究では、医薬品の創製、開発、適正使用、育薬、公衆衛生などを通して、人々の健康にどのように貢献できるかを考えることが重要です。基礎研究であっても、将来の医療や社会につながる可能性を意識してほしいと思います。
④ 研究の独創性(Originality)と実現可能性を考える。 どのような実験系、材料、技術を用いれば問いに答えられるのかを検討します。研究室にない技術が必要なら、新しい方法を学び、開発し、あるいは共同研究によって実現することも考えます。
⑤ 他者との対話(Dialogue)を通して研究の問いを深める。 指導教員や研究室の仲間だけでなく、異なる専門分野の研究者とも意見を交わします。Dialogueとは、単なる会話や議論ではなく、互いの考えや価値観を尊重し、相手の意見に耳を傾け、新しい考えを生み出すための対話です。
⑥ 挑戦することを恐れない。ただし、科学的根拠を大切にする。 成功するか分からない研究にも挑戦する価値があります。一方で、研究のリスク、必要な資源、倫理的な問題を検討し、挑戦と慎重な判断を両立させることが必要です。
2.研究の進め方 ― 自ら考え、検証し、次の問いを生み出す
① 実験の目的と原理を理解する。 実験操作を覚えるだけでは十分ではありません。なぜその方法を用いるのか、何を測定しているのか、どのような限界があるのかを理解してください。市販キットや解析ソフトを使う場合も、原理や検証方法を確認することが重要です。
② 実験前に仮説と予測を立てる。 どのような結果が得られれば仮説を支持できるのか、反対の結果が出た場合に何が考えられるのかを整理します。必要な対照群、反復数、評価方法も事前に検討します。
③ 研究計画を立て、実験の流れを可視化する。 実験の目的、手順、評価項目、判断基準を明確にします。研究計画は固定されたものではなく、得られた結果に応じて見直すものです。
④ 研究記録を正確に残し、再現性を確保する。 実験条件、生データ、解析方法、失敗した実験も含め、第三者が確認できるように記録します。研究の信頼性は、都合のよい結果ではなく、正確な記録と誠実な検証によって支えられます。
⑤ 予想外の結果を大切にする。 予測と異なる結果が得られたときこそ、重要な発見につながる可能性があります。すぐに失敗と決めつけず、実験上の問題と新しい科学的現象の可能性を区別して検討してください。
⑥ 困ったときは、早めに相談し、対話する。 分からないことを隠す必要はありません。自分なりに考えたうえで、教員、先輩、共同研究者と対話し、異なる視点から問題を見直します。
⑦ 研究の目的と方向性を定期的に見直す。 実験を続けること自体が目的になってはいけません。得られた結果から何が言えるのか、何がまだ不明なのか、次に何をすべきなのかを常に考えます。
3.論文の読み方 ― 知識を得るだけでなく、科学的に考える
① 原著論文を読む習慣を身につける。 関連分野の主要な学術誌やPubMedなどの文献データベースを定期的に確認します。新しい研究成果を継続的に把握することが大切です。
② 総説だけでなく、原著論文の方法とデータを確認する。 著者の結論をそのまま受け入れるのではなく、どのような実験からその結論が導かれたのかを検討します。
③ 論文を批判的に、しかし建設的に読む。 研究の新規性、独創性、実験デザイン、データの解釈、限界を考えます。「自分なら次にどのような実験をするか」という問いを持って読むことが重要です。
④ 専門分野の外にも関心を広げる。 新しい研究の発想は、異なる学問分野との接点から生まれることがあります。薬学だけでなく、医学、工学、生命科学、情報科学などの知識にも目を向けてください。
⑤ 読んだ論文を整理し、自分の研究に結びつける。 文献管理ソフトなどを活用し、研究の背景、主要な発見、未解決の課題を整理します。単に論文を集めるのではなく、自分の考えを記録することが重要です。
4.研究進捗報告会・セミナー・学会発表 ― 対話(Dialogue)を通して研究を発展させる
① 発表は、研究の目的と意義から始める。 何を明らかにしたいのか、なぜ重要なのかを、聞き手が理解できるように説明します。
② 相手に合わせて伝え方を工夫する。 学部学生、大学院生、基礎研究者、医師など、相手によって必要な説明は異なります。専門用語を並べることよりも、研究の本質を伝えることが大切です。
③ 分からないことは質問する。 質問は、相手を批判するためだけのものではありません。互いの理解を深め、研究を発展させるための対話(Dialogue)です。
④ 質問には、誠実かつ明確に答える。 科学的事実、自分の解釈、仮説を区別して説明します。分からないことは分からないと認め、その問いを次の研究につなげてください。
⑤ 予想外の意見や批判を研究の発展に活かす。 異なる考え方を尊重し、自分の仮説を見直す柔軟性を持つことが大切です。
⑥ 学会は、発表するだけの場所ではない。 国内外の研究者と積極的に対話(Dialogue)を重ね、新しい研究課題や共同研究の可能性を見いだします。研究成果を学術論文として発表し、学問の進歩に貢献するとともに、新たな研究へと発展させることが重要です。
5.AIの活用 ― AIを使いこなし、自ら考える研究者へ
① AIは研究を支援する道具であり、研究者の代わりに責任を負うものではない。 AIは、研究の発想、文献探索の補助、プログラミング、データ解析、英文作成など、さまざまな場面で役立ちます。しかし、研究の問いを選び、結果を判断し、その内容に責任を持つのは研究者自身です。
② AIが提示した情報を必ず検証する。 AIは、存在しない論文や誤った情報を提示することがあります。文献の実在性、原著論文の内容、解析結果を自分で確認してください。
③ AIに考えることを任せきりにしない。 AIに答えを求める前に、まず自分で仮説や考えを整理する習慣を身につけてください。AIを使って考える視点を広げることと、AIの回答を無批判に受け入れることは異なります。
④ 研究データと機密情報を適切に管理する。 未公開の研究成果、個人情報、患者情報、共同研究先の機密情報などを、許可なく外部のAIサービスに入力してはいけません。所属機関の規程や研究倫理を遵守する必要があります。
⑤ AIの利用について透明性を確保する。 論文執筆や研究成果の発表では、投稿先の規程や所属機関の方針に従い、必要に応じてAIの使用内容を明示します。AIを著者として扱ったり、検証していない内容を研究成果として示したりしてはいけません。
⑥ AIが発展する時代だからこそ、人間同士の対話(Dialogue)を大切にする。 AIは多くの情報を提供できますが、研究の目的や社会的意義を考え、異なる価値観を持つ人々と対話(Dialogue)・協働することは、人間の研究者に求められる重要な役割です。
6.研究倫理と協働 ― 信頼される研究者になるために
① 研究の誠実性を何よりも大切にする。 データの捏造、改ざん、盗用を行わないことは当然です。研究成果を誇張せず、再現性と透明性を重視してください。
② 研究に関わる人々を尊重する。 共同研究者、先輩学生、後輩学生、研究支援者、医師など、研究に関わる人々の貢献を尊重し、適切に評価することが重要です。
③ 人や動物を対象とする研究では、倫理と安全を優先する。 研究計画の審査、インフォームド・コンセント、個人情報の保護、動物福祉など、必要な手続きを遵守してください。
④ 研究成果を社会に還元する視点を持つ。 研究成果を学術論文として発表することは重要ですが、それだけで終わりではありません。得られた知識や技術を、医薬品の創製、適正使用、育薬、医療の発展などにつなげることを考えてください。
⑤ 対話(Dialogue)と協働を通して、新しい価値を生み出す。 異なる専門性や経験を持つ人々との協働は、自分一人では見いだせなかった問いや解決策につながります。互いを尊重し、学び合う姿勢を大切にしてください。
7.最後に ― 何のために研究するのか
研究には、思いどおりに進まないことが数多くあります。しかし、困難に直面したときこそ、なぜ自分はこの研究をしているのか、誰のために研究しているのかを考えてほしいと思います。
「薬(やく)の倫理」に基づき、自ら問いを立て、他者との対話(Dialogue)と協働を大切にし、科学的根拠に基づいて主体的に行動する。そのために必要な「研究力」と「人間力」を、日々の研究を通して身につけてほしいと思います。 そして、その力を活かして、薬学の未来、そして自分自身と社会の未来を切り開いてください。
今、救えない患者さんと、未来の患者さんのために、医薬品を通じて医療の発展に貢献する。 それが、私たちが薬学で研究する理由です。
2026年10月22日 川上 茂