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長崎薬学史の研究
 
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はじめに

 長崎大学薬学部は100有余年の歴史を持つ。また、長崎は江戸時代唯一西洋に開かれた窓口であり、近代薬学が伝わった地である。2000年、日蘭交流400年を迎えるに当たり、我が薬学部の歴史を知り、ルーツを探るために長崎薬学史研究プロジェクトチームを作りそれぞれ分担して調査研究した。

 時代をたどってゆくと、日本薬局方の起草者である薬剤師ゲールツは、明治2年26歳のとき長崎医学校(学頭は後に文部省医務局長となる長與専斎)で教鞭をとっていた。日本薬学会の創始者である長井長義博士は、22歳のとき、蜂須賀藩の藩命により長崎に留学している。また、タカジアスターゼやアドレナリンを発見した高峰譲吉もまた加賀藩から長崎に留学している。慶応元年12歳のときであったという。いずれも、当時長崎医学校に設けられた分析究理所のハラタマを頼って留学していた。この分析究理所は薬学部の前身と言えるであろう。写真の元祖として知られる上野彦馬は化学の教科書「舎密局必携」を記しており、薬学と関係深いが、医学校のポンペに化学を学んでいる。更にさかのぼると、出島に来たビュルガーに至る。シーボルトの薬剤師として、また科学者としての側面を持っていた。日本で最初の近代的薬剤師で、医薬分業を行っていたことが記されており、業務のかたわら日本人に薬学教育を行っていたと推定される。長崎大学薬学部のルーツはこのビュルガーに至るように思われる。

1999年3月24日

   
長崎大学