研究室の変遷
薬剤学研究室の教授は、設置当初、併任のかたちで過ぎたが、昭和35年(1960)、生化学研究室(現在 感染分子薬学)から担当換になった一番ヶ瀬尚が初代教授に就き、熊本大学薬学部に転出するまでの約1年間、研究室の整備に努力した。第二代教授の河野喜美彦は、それまで手掛けた異項環化合物の合成研究から転じ、昭和30年(1955)頃から海人草や牡蠣エキス成分中のアミノ酸分析あるいは消化酵素剤の活性に及ぼす影響因子検討など薬剤学分野の研究を開始したが、昭和38年(1963)第一薬科大学教授として転出した。
柴崎壽一郎は、河野喜美彦の後を受け、昭和37年(1962)5月から第三代教授として薬剤学研究室を担当した。赴任以来、生物薬剤学分野の研究を手掛けてきた。当初の数年は、らい治療剤チオカルバニリド等チオ尿素系薬物の代謝に関する研究を行った。当時の共同研究者であった坂本芳幹助手は、らい治療剤の研究が縁で、国立らい研究所(現在は国立多摩研究所)に転出した。
昭和41年(1966)小泉保が助教授として赴任後は、研究室を挙げてアニリン系解熱鎮痛剤の体内挙動についての研究を開始した。特にアナログ計算機を利用した薬物速度論的解析は、先駆的研究として注目を受けた。小泉は、昭和44年(1969)に富山大学薬学部教授として転出した。昭和44年(1969)、小西良士が小泉の後任助教授として着任後も、薬物の体内動態に関する研究を続けた。その主なものとしては、アニリン系及びサリチル酸系解熱鎮痛剤についての体液中濃度と鎮痛効果との関連解析、並びに経口投与時の初回通過効果に関する研究、スルフォニル尿素系経口糖尿病治療剤についての代謝及び排泄、さらに他剤併用時の相互作用に関する研究、代謝拮抗型抗癌剤についての消化管吸収機構に関する研究がある。昭和49年~50年(1974-1975)、小西は米国カンサス大学Takeru Higuchi教授の下で製剤設計に関する研究に従事し、帰国後、薬剤の経皮吸収に関する研究を始めた。この経皮吸収の研究がきっかけとなり、外用剤の専門メーカーである帝國製薬株式会社に乞われ、昭和58年(1983)4月、同社製剤開発研究所長として転出した。
昭和59年(1984)には、中村純三が小西の後任助教授として着任、続いて、佐々木均(昭和53年当学部卒)が京都大学大学院薬学研究科博士課程を修了し、学位を取得後助手として採用され、研究は一層活発になった。この頃から、研究室では、腸内細菌による薬物のアミノ酸抱合体の加水分解に注目し、これをプロドラッグの設計に利用することを目標として研究を始めた。サリチル尿酸経口投与後の血液中サリチル酸濃度の推移を指標として、投与量、抗生物質併用、絶食の影響等を検討し、基礎的な知見を得ている。
昭和61年(1986)4月には、当学部にも博士課程が設置され、平成元年(1989)3月には、最初の学位取得者が誕生した。当研究室からもバングラデシュ国出身の留学生S. K. Podderが学位を授与された。佐々木は、昭和62年~平成元年(1987-1989)、米国南カリフォルニア大学V. H. L. Lee教授の下で、薬物の経眼吸収に関する研究に従事して帰国した。その頃研究室では、サリチルアミドやイソプロテレノール等をマーカー物質として、胃腸障害がそのグルクロン酸及び硫酸抱合反応や膜透過挙動に及ぼす影響を血液中の薬物測定結果から解析し、新規の胃腸障害評価法開発の可能性を示唆した。また、種々の薬物の物理化学的性質とその経皮吸収挙動の系統的解析、さらに経皮吸収促進剤の開発研究も手掛けてきた。
平成2年(1990)3月、柴崎は停年退職し、後任の第四代教授として中村が、助教授として佐々木が昇任した。なお、柴崎は、長年にわたる文教行政、教育研究、保健衛生に尽くした功績により、平成14年春に勲三等旭日中綬章を受賞した。また、平成3年(1991)4月、西田孝洋が京都大学大学院薬学研究科博士課程を修了し、学位を取得後、助手として着任した。研究室のテーマとしては、新規ドラッグデリバリーシステムの構築が強調された。腸内細菌による加水分解を利用した各種アミノ酸プロドラッグの設計を速度論的解析を含めて系統的に進め、一方では、神経べプチド及びべプチドホルモン等についての経眼投与法の研究を系統的に継続した。
平成7年(1995)3月、佐々木は医学部附属病院薬剤部(現在は、長崎大学病院薬剤部)助教授として配置換となり、医療薬学の教育および研究に従事しており、その後平成12年(2000)9月に、教授へ昇任した。平成7年(1995)4月に西田が助教授として昇任した。平成8年(1996)4月には向高弘が助手として、住友製薬より着任した。研究室として新規投与形態の開発に重点を置き、臓器表面からの薬物吸収を利用した新規投与形態の開発、薬物の臓器移行性の解明および標的指向化に関する研究、薬物の体内動態および病態時における変動の速度論的解析に関する研究を活発に行った。平成10年(1998)3月には、山村賢三(現在は、参天製薬)が学位を授与された。西田は、平成10年~平成11年(1998-1999)、米国南カリフォルニア大学V.H.L.Lee教授の下で、眼粘膜における各種トランスポーターに関する研究に従事し帰国した。さらに、西田は平成14年(2002)12月に日本薬学会九州支部より学術奨励賞を、「新規投与形態に基づく肝臓内特定部位への薬物送達システムの開発」 の研究で受賞した。
平成11年(1999)4月、薬学研究科へ臨床薬学専攻が設置され、薬剤学研究室は協力講座として臨床をより意識した研究・教育に寄与することとなった。さらに、平成14年(2002)4月、医歯薬学総合研究科の設立に伴い、生命薬科学専攻 臨床薬学講座に属し、臨床薬学研究・教育の中心的役割を果たすこととなった。平成11年(1999)7月、向は学位を授与され、京都大学医学部附属病院へ転出した(現在は、神戸薬科大学教授)。なお向は、平成13年(2001)7月に日本薬剤学会より Postdoctoral Presentation Awardを受賞した。平成11年(1999)10月には、川上茂(平成7年当学部卒)が京都大学大学院薬学研究科博士課程より助手として採用された。平成13年(2001)9月、川上は京都大学より学位を授与された。平成14年(2002)10月、川上は京都大学大学院薬学研究科へ転出した。その後、平成25年(2013)4月に本学の医療情報解析学分野の教授に着任した。
平成16年(2004)4月、麓 伸太郎が京都大学大学院薬学研究科博士課程を修了し、学位を取得後、助手として着任した。なお麓は、平成16年(2004)7月に日本薬剤学会より Postdoctoral Presentation Awardを受賞した。平成20年度(2008)においては、西田が全国大学IT活用教育方法研究発表会論文奨励賞および日本薬学会宮田記念学術論文賞を受賞し、麓が日本薬学会九州支部会学術奨励賞を受賞した。さらに、D3の西順也が日本薬学会九州支部大会優秀発表賞を受賞し、博士の学位を授与された。また同年には、社会人の博士後期課程を修了した兒玉幸修(現在は、病院薬学研究室助教:実務家教員)が博士号を取得した。
平成2年(1990)より教授を務めてきた中村は、平成21年(2009)3月に任期満了で退任した(現在は、長崎大学名誉教授)。平成22年(2010)1月より、西田が第五代教授に昇任し、4月には麓が准教授に昇任した。さらに、平成23年(2011)5月には、博士後期課程に在学中の宮元 敬天を助教(社会人ドクター)に採用し、新体制を整えた。ドラッグデリバリーシステムと薬物投与の個別化を研究の大きな柱として、新規投与形態の開発を目指した製剤設計、遺伝子医薬品の体内動態制御法の開発、薬物治療時における体内動態変動に関して、研究室を挙げて精力的に研究を行っている。平成25年(2013)3月、宮元は長崎大学より学位を授与された。平成26年(2014)3月には、吉川直樹は学長賞を受賞し、社会人の嶺豊春とともに博士号を授与された。新体制になり、3名の博士を輩出した。
平成27年(2015)4月には、長年親しんできた文教地区より坂本地区に薬剤学研究室は移転した。現在(2019.4)の薬剤学研究室の教員は、西田孝洋教授、麓伸太郎准教授、宮元敬天助教からなる。博士・博士後期課程学生には7名、博士前期課程には2名が在籍する。加えて、研究室には学部(薬学科)6年次配属生3名、5年次配属生6名、4年次配属生5名、薬科学科4年次生1名が在籍する大所帯となった。