シーボルトの処方箋

〜長崎市のシーボルト記念館で開催された「オランダ渡りのお薬展」〜
(1998.10.21 長崎新聞より)

北村 美江(昭50)

 今回の特別展には,国の重要文化財である「シーボルトの処方箋(せん)」をはじめとして,貴重な歴史的資料や器具などが展示されていて,それ自体専門家や研究者にも必見といえます。なかでも,第一の見どころはシーボルトに代表される日本への西洋医・薬学の導入の時代の処方を,今の私たちの視点で再現したことではないでしょうか。
 処方箋といえば,以前は医師や薬剤師など,医療に携わるものだけが知るものでしたが,最近は医薬分業の進む中で,私たちに手渡され,目に触れる,だれにもなじみのあるものとなってきています。およそ150年も前に書かれた処方箋の中に,現在でも十分に通用するものがあったことは驚きと言えましょう。さらに,病名の記載された処方箋からは,今よりも進んだ学ぶべき点さえうかがえます。
 再現された処方には,粉ぐすり(散剤)あり,煎(せん)じぐすり(煎剤)あり,なめぐすり(紙剤)ありで,しかも,西洋から導入された薬だけでなく,漢方薬も日本の民間薬も使われていて,当時の世界でも類をみない画期的な試みだったと言えるでしょう。現代の西洋医薬・和漢薬の原型がここに出来上がったと思われます。
 今回の企画のもう一つの特徴は,処方に用いられた植物性の生薬(しょうやく=薬効のある植物の特定の部分を取り出し,乾燥させ,必要に応じて小さく刻んだりしたもの)とその基になる薬用植物をじかに見ることができることでしょう。
 薬用植物については,写生図として,また鉢植えの生きた標本としても展示されています。写生図には故高取治輔・長崎大学名誉教授によって描かれた「日本の薬用植物」から抜粋した貴重な八枚の原画があります。画家の小磯良平氏も脱帽されたという水彩の色の美しさと写生の正確さには感嘆させられます。写生図が写真や実物よりも優れている点は,花や果実,根茎など特定の季節や生育段階にしかないものも,同時に見ることができることです。壁を飾るこれらの図は,左手で植物のスケッチをしながら右手で説明文を書いて当時の学生をうならせたという,高取先生ならではの作品と言えましょう。
 一方,生きた植物には,葉に触れたときのハッカの香りのように,かけがえのない魅力があります。植物たちの中には,紀元前の古代エジプトや中国などで薬用としてすでに使われていたセンナやダイオウ,ヒヨスなどがあります。当時ヨーロッパで使われはじめ,シーボルトによって初めて日本に持ち込まれたジギタリスも,シーボルトが誤ってべラドンナと命名した日本原産のハシリドコロもあります。
 今回の企画を通して,古代から人が病と闘い,自然の中から病を癒(いや)す薬を見つけだしてきたこと,その発見の遺産は確実にシーボルトの時代に受け継がれ,さらに今日へ形を変えながらも活用されていることが分かります。人類共通の知的財産を守り発展させていく上でも,多くの人に展示に興味を持っていただけたら幸いです。
    (長崎大学薬学部附属薬用植物園助手)

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