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環境を科学する

〒852-8521 長崎県長崎市文教町1-14

確かな技術と自由な発想 新しいライフスタイルをご提案します

NEWS&TOPICS

2025年4月1日
MemberおよびTopicsを更新しました。
2025年2月7日
薬学部ではさくらサイエンスプログラムを実施しました。 詳細はEventsに記載されています。
2025年3月31日
M2古川彩夏さんが日本薬学会第144年会で学生優秀発表賞を受賞しました。詳細はResearch Topicsに記載されています。

衛生化学分野のホームページへようこそ

衛生化学とは…
″生”を″衛る”ための化学であり, ヒトの健康な生活の確保と疾病の予防のために, 食品や環境中など生命活動・社会活動を介して曝露されるあらゆる物質とヒトとの関わりを探求する幅広い学問分野です。


我々の研究室では…

生体影響の強い化学物質に着目し、実環境試料の分析と細胞影響評価を介して環境動態や曝露の実態を明らかにすることを目指しています。
下記の三本の軸から環境化学物質曝露という地球規模課題にアプローチしています。詳細はResearchに記載

1.環境化学物質による汚染の実態解明

芳香族炭化水素およびその類縁体に特化した環境汚染物質の動態解析や限定エクスポソーム研究を展開し、環境曝露の実態を解明する

2.化学物質に対する細胞応答機序の解明

種々の曝露刺激に対してどのような生体防御応答・細胞毒性が発現するか?

3.生体内微量金属元素の役割の解明

未だ不明な点の多い必須微量金属の謎に挑む!

衛生と長崎

衛生行政の祖 長与專齋(1838-1902) 
 医学者。明治の衛生行政機構を確立した。肥前国(長崎県)大村藩医の家に生まれ、4歳で父と死別、祖父俊達に養育される。1854年(安政1)大坂の緒方洪庵(おがたこうあん)の適塾に入り、1858年には福沢諭吉にかわって塾頭となる。1861年(文久1)長崎の精得館(せいとくかん)に入り、ポンペに医学を学び、1864年(元治1)大村藩の侍医となり、1866年(慶応2)ふたたび長崎に出て医学研究に従い、1868年(明治1)長崎医学校の学頭となる。1871年に上京し、文部省に入り、同年岩倉具視(いわくらともみ)遣欧使節団に加わったが、途中、別れて欧米の衛生事情を視察、1873年帰国。相良知安にかわって文部省の医務局長となり、1874年東京医学校校長となった。1875年、文部省医務局は内務省に移り、翌年に衛生局と改称、長与は1891年まで衛生局長に在任し、その間、医制、創始期の衛生行政を確立し、コレラの予防などに功績を残した。長与の後任には荒川邦蔵が就任したが、1892年には長与の意中の人、後藤新平(ごとうしんぺい)が衛生局長となり、その政策を推進した。退任後、長与は宮中顧問官、中央衛生会会長、大日本私立衛生会会頭などを務め、衛生行政界の大御所であった。元老院議員、貴族院議員。遺著に回想録『松香私志』がある。
(Yahoo!百科事典より)
詳しくは、薬学部ホームページを参照してください。

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