前へ

柏葉健児 目次 背番号10

次へ

お世話になった両先生

 


昭和32 年卒業 長田 雅子

 「うちに寄越していいよ」病薬の理事会で市川先生にこう言われたのは,15年ばかり前のことでした。そのころ私が勤務していた病院は総合病院ではなく、そのため新卒薬剤師の研修ができなかったのでご相談したところ,快く引き受けてくださったのでした。それ以来,新卒薬剤師を採用する度毎に大学病院薬剤部にお世話になってきました。
 エネルギッシュで行動力に溢れ、弁舌さわやか、堂々たる体躯、大学病院薬剤部長という押しも押されもしない先生でしたが、高校では同級生、大学では私の一年下ということもあって、気軽にお願いできたのですが、とても良くしてくださいました。長崎東高野球部の名ショート時代のスリムでおとなしそうだった頃からは想像もできませんでした。
 そして、その新卒薬剤師を送り込んでくださったのが渡辺三明先生でした。地元ということで、ずっと同窓会の役員を務めさせていただいている関係で存じ上げていた三明先生でしたが、長大薬学部創立百周年の際に『薬学部百周年史』の編集委員としていっしょに仕事をしたり、佳子夫人との関係もあって、親しくなりました。そしてなにかにつけて親身になってお世話してくださいました。求人をお願いすると、「いるよ。とっても光っている良い子がいるよ」と、あの人懐っこい声で、お返事をくださったり、本人を車で連れてきてくださったりされました。(もしかすると、その学生には強引に承諾させたのかも知れませんが・‥)学生や、いろいろな人の面倒見がよく、本当にいっしようけんめいお世話されておられました。
写真  三明先生の運転で,佳子夫人や友人たちと外海町へ「うに」や「活いか」を食べに行ったのは昨年の春のことでした。帰りには、遠藤周作の”沈黙の碑”や、出津の教会などを廻って、ほんとうに楽しい一日でした。そしてまた今年もご一緒したいものと楽しみにしていましたのに。今でも信じられない気持ちです。
 市川先生も三明先生も皆より早くこの世を去っていってしまわれましたが、きっとその分、十分に仕事をし、楽しいお酒を飲み、大勢の人のために活雁し、完全燃焼されたのではないでしょうか。沢山のすばらしい想い出を私たちの胸に残して、今はきっとあの世で二人、大好きなお酒を飲みながら、談笑していらっしゃることと思っています。

前へ

このページの初めへ

次へ