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多細胞生物を構成する個々の細胞にとって最も重要なことは、生物体(個体)全体の利益になるように各細胞が互いに連絡を取って「話し合う」ことである。細胞間の「話し合い」に何らかの異常が生じた結果として起こる代表的な疾患が「がん」であることからも、個体恒常性の維持における細胞間の調和の取れた話し合いの重要性が示唆される。
 当研究室では様々な細胞増殖・分化因子を介した細胞間の話し合いに注目し、各因子が標的細胞表面の受容体と結合することによってもたらされた「情報」が、どのようにして細胞核へと伝達されて最終的に細胞の「ふるまい」の制御に至るのかを、「MAPキナーゼ」を中心として解析している。例えば、MAPキナーゼを中心的な構成要素とした情報伝達系(MAPキナーゼ系)の活性化は、細胞によって増殖、分化(=増殖停止)、あるいは運動性亢進を誘導するが、このような細胞の「ふるまい」の差がどうして生じるのかを研究している。また、多くのがん細胞においてはMAPキナーゼ系の恒常的機能亢進が認められることより、その特異的阻害が「制がん」につながる可能性を検討し、さらにこのような作用を持つ新規抗がん剤の開発を目指している。
 この種の研究は国内外を問わず極めて激しい競争のもとに進められているが、その中にあって私達はアイディアをこらしてユニークに研究を展開している。
 以下に具体的な研究テーマ、およびその現状を紹介する。

   
  
 
多様な細胞機能の制御におけるERK−MAPキナーゼの役割
ヒト癌細胞におけるERK−MAPキナーゼ系の機能冗進とその制御
 骨形成因子の生理機能,及びその作用発現のシグナル系
 腫瘍壊死因子の新規生理機能,及びその臨床応用
 チューブリン機能を標的とした新規抗癌剤の開発


  
  
   
         

多様な細胞機能の制御におけるERK-MAPキナーゼの役割


 様々な増殖因子で刺激した細胞において共通にチロシンリン酸化が促進されるものとして、細胞質41-kDa/43-kDa蛋白質を世界に先駆けて同定し、これら蛋白質のリン酸化は様々な細胞増殖シグナルを纏める共通の中継反応として極めて重要な役割を果たしている可能性を提示した。次いで上記蛋白質はERK-MAPキナーゼであること、その活性化にはTyrの他にThr残基のリン酸化も必要であることを証明した。また、ERK-MAPキナーゼは細胞増殖促進の他、細胞分化誘導、細胞運動性亢進などにおいても必須の役割を果たしていることを明らかにした。
 今後は、上記各生理応答の発現におけるERK-MAPキナーゼの具体的な役割を、転写因子、および細胞骨格系の機能制御を中心として解析している。

 


 
 

ヒト癌細胞におけるERK-MAPキナーゼ系の機能亢進とその制御


 ヒト癌細胞、特に腎臓癌、大腸癌、肺癌などにおいて、ERK-MAPキナーゼが恒常的に活性化されている症例を高頻度に見出した。なお、MAPキナーゼの恒常的活性化が認めれた全症例においては同時にMAPキナーゼ・キナーゼ(MEK)が恒常的に活性化されており、Raf-1についてもその大多数において活性化を認めたが、Ras遺伝子の恒常的活性型変異との相関については一致しない症例を多数認めた。さらに、ERK-MAPキナーゼが恒常的に活性化されている癌細胞において特徴的に、MEK阻害剤などでMAPキナーゼ系を特異的に遮断することで、その増殖が完全に抑制され(G1期集積)、さらにApoptosisが誘導されることを見出した。
 今後は、MAPキナーゼ系の遮断がERK-MAPキナーゼに恒常的活性化が認められた癌細胞の増殖を抑制する機構を細胞周期制御因子との関連に注目して解明するとともに、MAPキナーゼ系を構成するシグナク分子、特に特異な基質特異性を持つMEKなどに対する特異的阻害物質の検索を通して、新しいタイプの抗癌剤の開発を目指している。
 


ヒト癌細胞におけるERK-MAPキナーゼ系の機能亢進とその制御PD18059はHT1080細胞(V型細胞)にアポトーシスを誘導する


 
 
 

骨形成因子の生理機能,及びその作用発現のシグナル系

 骨形成因子(BMP)に対する受容体は,骨組織由来細胞の他に,神経系,消化器系,生殖器系など,様々な組織,器官由来の細胞に広く分布しているが,一方,血球系各細胞及び血管内皮細胞には特徴的にその発現が認められないことを明らかにした。次いで,BMPは繊維芽細胞に対する増殖促進活性,GABA作動性神経細胞に対する特異な神経栄養因子活性など,多様な生理機能を有すること,BMPの上記生理機能の発現においては,多くの細胞増殖・分化因子の作用発現シグナル系において本質的な役割を果たしているERK-MAPキナーゼ系ではなく,p38MAPキナーゼ系が必須の役割を果たしていることを見出した。
今後は,BMPの特異な神経栄養因子作用の詳細を明らかにするとともに,その作用発現におけるp38MAPキナーゼの具体的な役割を,上記1項と同様に解析している。
 


骨形成因子の生理機能骨形成因子の伝達経路



 
 
 

腫瘍壊死因子の新規生理機能,及びその臨床応用

 腫瘍壊死因子(TNF)が繊維芽細胞に対して,神経成長因子(NGF)遺伝子の発現を促進するというユニークな活性を持つことを見出した。さらにTNFの上記作用は,インターロイキンー1などの共存によって相乗的に冗進されることを見出し,これよりTNFの新規生理機能として,それは他の炎症性サイトカインと相乗的に繊維芽細胞に作用してNGF産生を促進することで,組織損傷後の末梢神経再生過程に探く関与する可能性を提示した。 
今後は,TNFを末梢神経再生薬として臨床応用し,他の細胞増殖因子などと組み合わせることで,新しいタイプの総合的創傷治療薬の開発を目指している。

 
 

チューブリン機能を標的とした新規抗癌剤の開発

 
 NGF/PC12細胞系を利用することで,チューブリン機能に影響を及ぼす化合物に対する高感度in vivoスクリーニング系を開発し,様々な化合物を検索した。その結果,この種の薬剤に共通して認められる副作用(神経機能障害)が極めて少ない新規化合物を見出し,それはチューブリンの重合を阻害すること,癌細胞に対して選択的に極めて低濃度(10-10M)でApoptosisを誘導するが,その作用機構は従来よりこの種の薬剤において考えられていた染色体の分配阻害ではないこと,などを明らかにした。
今後は上記化合物の癌細胞に対するApoptosis誘導機構の詳細を明らかにするとともに,その抗癌剤としての実用化を目指している。

細胞内での微小管の存在様式

NGF/PC‐12細胞系を利用したチューブリン阻害剤の検索―Taxolについての解析―

 

   NGF/PC‐12細胞系を利用したチューブリン阻害剤の検索―Taxolについての解析―