長薬同窓会ホームページ

グビロヶ丘下の原爆慰霊碑

写真1 写真2 写真3 写真4
写真1(開通式)
写真2(遊歩道)
写真3(防空壕跡地周辺)
写真4(除幕式)
写真5 写真6 写真7

慰霊碑の建立については、長薬同窓会報 第39号(平成11年12月発行)に掲載した、当時の同窓会長、市川正孝先生の挨拶をご参照下さい。
長薬同窓会では、年間行事の一つとして慰霊碑周辺の清掃を行なっています。

写真5(慰霊碑)
写真6(側面)
写真7(裏側)

写真1.平成11年3月9日,グビロガ丘中腹から射的場,防空壕跡地へ向かう遊歩道が医学部職員の献身的な努力によって完成し,開通式が行われた。向かって左から市川医学部教授(長薬同窓会長),斎藤医学部長,相川医学部教授(長崎医学同窓会代表),後方左側前列池田医学部事務長をはじめ関係職員。

写真2.グビロガ丘中腹から射的場へ向かう遊歩道を開通式後に散策し、防空壕跡地へ向かう関係者一同。

写真3.遊歩道が到達した防空壕跡地周辺を聖地として整備し,慰霊碑建立にふさわしい環境の基本的設営が完成した。向かって右側の階段が遊歩道からの到着地点となる。

写真4.平成11年8月9日午前10時より慰霊碑建立の式典を行い,除幕式が行われた。向かって左から池田学長,斎藤医学部長,向かって右端から市川医学部教授(長薬同窓会長),藤田薬学部長,毎田医学部教授(長崎医学同窓会代表)。

写真5.薬専枚舎地域射的場跡地に採穴された防空壕を背に建立された慰霊碑。周辺は整地し,医科大学時代に校庭で使用されていた石畳の一部を敷きつめ礼拝ができるように基整ができ,さらに献花,お香を焚いて慰霊を葬うことができるようにデザインされている。慰霊碑の筆跡は,グピロガ丘頂上に建立されている慰霊碑と同じ,古屋敷宏平学長(長崎大学第2代)によって書かれた実筆を写真に撮り縮小して刻んだものである。

写真6.慰霊碑の側面に,永井隆先生の筆跡をそのまま刻み,思い出も新たに霊をなぐさめ,平和を祈る精神がこめられている。

写真7.慰霊碑の裏側に,長薬同窓会,長崎医学同窓会,及び長崎大学医学部の三者で建立したことを明記している。