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偉大なる両先輩との思い出

 


昭和59 年卒業 宮下 孝志

 まさかこの様な原稿を書くような事になるとは誰が考えたでしょうか。未だに両先輩のご不幸が現実の事とは思えずこの原稿を書いている次第です。
 
 市川先生とは、私がまだ福岡で勤務していた時、野球部OB会で年に一度お目にかかっていました。いつのOB会か定かではありませんが、OB同士の試合で「往年の名投手」市川先生が先発なされ、対する私どもは中島(s57卒)黒崎(s59卒)ら強打者を擁して対抗したわけです。なんと日頃ほとんど打てない私も含め連打連打の猛攻にて見事名投手をKOした事がつい昨日のように思い出されます。当時私と中島さんは、三共の同じ職場で同じユニホームを着て目立ったせいもあり、市川先生から「三共は非常に生きがいいな」とお褒めに与り、非常に気さくにお話しいただいたことを記憶しています。市川先生の勇姿をもう目にできないことを思うと寂しい限りです。
 
 市川先生の後を追うように他界された三明さん 昨年の長薬広島支部同窓会にお越し頂き、3次会で、糖尿気味で禁煙された事や、息子さんがホンダに就職され頑張られている様子 大学の今後のあり方等熱く語られていました。あの会が三明さんとの最期になろうとは非常に残念でなりません。もっと三明さんに聞いてもらいたいことがあったのに…
 三明さんにはよく鍛えていただきました。夏の合宿での三明さんのノックは恐怖でした、縦に横に「飛べー」とヘトヘトになるまでボールに飛びつきました。ところがはっと気が付くとダイビングキャッチが出来るようになっているのです。その時三明さん「ようがんばった ナイスプレーや」と一言、それまでの疲れがすーっと引くよな感動・感激を味わったものです。また三明さんは、シートバッティングのピッチャーもよくやられていました、強靱な体力の持ち主で、更に絶対弱音を吐かない男というのが三明さんの強烈なイメージとして心に残っています。リーグ戦や九薬連での戦い方でも不甲斐ない負けを喫した時の、三明さんからの叱咤激励「男やったら格好良く決めてこい」には、何回も自分達の心を奮い立たせてもらいました。私の考えやポリシーのベースを教えていただいたのが三明さんだと思います。ですからもう一度私の考えを三明さんに聞いていただきご指導していただきたかったのです。もう叶わぬ事となりましたが、三明さんならどう考えるか・どうするか自分なりに考え行動していきたいと思います。三明さんとの思いでを語れば尽きることはありませんが、この辺で筆を置きたいと思います。
 最後に、市川先生・三明先生のご冥福を心からお祈り申し上げます。
安らかにお眠りください。


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