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渡辺三明先生の想い出

 


昭和55, 院昭和57 年卒業 吉田 泰史

 今年2月末の突然の渡辺三明先生の訃報がいまだに信じがたく、今でも「よおー」と軽く右手を上げて私達を出迎えて下さるような気がしてなりません。三明先生の想い出はたくさんあって、何から紹介していいかわかりませんが、その、ほんの一部になりますが、これから紹介させていただきます。
 私と三明先生との出合いは、私が長薬野球部に入部したその日からで、野球部員として6年間と、大学4年から院の合計3年間は、薬品合成化学教室において直々に、さらに卒業後も今日までずーっとご指導下さいました。
 さて、三明先生の好物と言えば皆さんご存知のビールでして、当時合成の教室では夕方5時をまわるころからよく飲み会なるものが週1回以上のペースで開催されておりました。私も嫌いなほうではありませんので、大学1年生の頃からよく顔を出しておりましたが、ビール片手に、最後は三明先生の熱弁ぶりがなつかしく思えます。学生思いの先生は自分の方から心配されて、将来のこととか、人生観などさまざまなことをアドバイスされました。
 もうひとつ好きなものがインスタントコーヒーです。一日に4〜5杯は飲まれていたと思います。
 一方、学生と遊ぶことも大好きでした。学生が大好きな三明先生は、私達学生とよく麻雀をしました。土曜日の午後(当時は土曜には休日ではありません)私より3学年下の渋田君の下宿の部屋で、夜遅くまでやりました。でも家庭思いの先生ですから徹夜などはありませんでした。それから、当時三明先生は外国留学から戻られたばかりで、口癖がありました。それは「グッドやでー」でした。それから、三明先生と子供さんと私で子子川(海)へキス釣りに行ったことも良く覚えています。もうひとつ忘れられないことは、教室旅行で大分・宮崎県境の祖母山登山があります。皆で協力しあってリュックが肩に食い込む重さに耐えながら頂上を目指しました。頂上付近の景色は最高でした。木々は樹氷がびっしりついて、風が吹くとサラサラと音をたて、一面雪景色でした。生まれて初めて見る風景でした。登山の素晴らしさを教えてくれたのも三明先生でした。遊びばかりではありません。勉強の方面でも、私達が大学院に進学いたいと知るや、私の苦手の英語読解力をつけるために、毎日早朝から自分と佐原君のために特訓をしていただきました。こんなところにも学生に対する優しさ、熱血漢を感じました。他にもいろいろありますが、これくらいでとどめようと思います。
 渡辺先三明生は、今頃は天国で、あの市川正孝先生と大好きなビールを飲み交わしながら、お二人で、お互いに野球談義に尽きることなく楽しまれていることでしょう。
 お二人のご冥福を心よりお祈り致します。
 平成12年9月21日

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