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回想 ー三明先生を偲んでー

 


昭和52, 院昭和54 年卒業 松野 康二

 本年二月末、三明先生の突然の訃報に接した時は、晴天の霹靂というか、嘘だろうという思いでした。前年の六月、今私が勤務している大学に来られ、一緒に酒を酌み交わしたばかりでした。その時は、長崎大より九州女子大に赴任されていた榊原先生と三人で長崎の様子やお互いの研究等を肴に話の花が咲き、相変わらずの熱弁を振われておられました。
 私は大学四年(昭和51年)の卒業研究時に、同級生7人(男性4人:北村君、高田君、安河内君、大木(笹田)さん、女性3人:田中(入山)さん、大木さん、今泉(三苫)さんと共に、合成化学研究室に入りました。当時の合成は、古川先生、木下先生、三明先生とM1で菅原先輩、青野先輩がおられましたが、私は、三明先生の下で、当時、先生の研究テーマであったイオウイリドに関する研究をお手伝いすることになりました。具体的には、Thiabenzene 1-oxide 誘導体とAcetylenedicarboxylateとの反応に関する研究でした。そんな中、反応生成物として予想してない(?)化合物が得られた事がありました。その時三明先生は、私を横において、その物質の構造や生成機構に関する考察を、一研の床にチョークを使って、熱く熱く語られました。横にいた私は、それを聞きながら、先生の研究に対する姿勢と情熱の大きさに圧倒されつつ、深い感銘・感動を受けておりました。この研究結果は、後日HETEROCYCLRS(Vol.6, No.11, 1781-1788, (1977))に発表されました。この論文は、私も共同研究者の一人としていただいており、今となっては、三明先生との唯一の共著論文になりました。形見として、大切にしたいと思っています。
 その翌年(昭和52年)、三明先生はカナダへ留学されることとなり、院へ進学することになっていた私に「指導できなくなって申し訳ないが、がんばれよ。」と言われ旅立たれました。二年間の留学を終え帰学された時、私の方は就職していて、すれ違いになりましたが、その後もいろいろな面で御助言頂きました。これからもまだまだ、教えていただくことがたくさんあると思っていましたが、それができなくなり残念な気持ちで一杯です。
 三明先生との思い出は、まだまだ数限り無く浮かんできますが、昨年三月に三明先生に私の研究に関連する論文の送付をお願いした時の返事の電子メールを紹介して筆をおきます。やすらかに、お眠りください。  合掌!

《1999-3-19付のe-mail》
松野康二様
 御無沙汰失礼。文献、下の2つは、ありません。直ぐにコピーいたしましたので、送付いたします。合成等、なにかあったら、言ってきて下さい。17日に九州工業大学でセンターの会議があり、行ってきたところです。4月から私の大変親しい友人の榊原隆三先生が九州女子大の栄養学部(?)に行きます。4月に私も当地にいき、産業医科大学にもご挨拶にいく予定にしています。日程未定。4月から、私は研究科委員会のメンバーになり、天然物構造化学の分野名(教室名)にて、コミットすることになりましたが、現状はまったく変わっておりませんで、義務ばかりが増えております。榊原先生とは共同で研究を行っておりました。もちろん、有機化学や合成のみ、私が引き受けておりました。折尾の方に行っても、貴君の助力も借りて、共同でなにかができれば幸です。またね。
追伸:薬学部は図書館も縮小しています。移転の問題も解決なく、独立専攻科もできましたので、スペースがまったくありません。文献の下2つもすこし、わかりません。
渡辺三明

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