もの言わぬは腹ふくる

鍋島 健土(昭23)

 リンダは48歳,ジュリーは25歳,ダラスの病院で知り合った。不思議に気が合い病気も同じ神経性大腸炎。よく聞いてみたら二人共子供の頃いじめに遭っていた。彼女等は心優しくおとなしい人柄で,そのフラストレーションを他人に向けて発散することができなかったのである。そして,悲しみを内に秘め腹に収めて断腸の思いや煮えくりかえる腸の表現そのままに大腸炎に移行して,二人共長年の苦痛に耐えてきたのである。悲しみや憤満を吐露できないとき発作が起こるのだ。
 東洋医学では,肺と大腸は密接な間柄,共にガス交換に関り悲しみによって傷む。ひと昔前,悲恋小説の主人公は肺病もちであったりしたし,姑に痛めつけられると“嫁の屁は踝
(かかと)の先でにじりこむ”と詠まれた。当今の嫁は違うが……。オナラは声なき声,下風(昔は屁を下風ともいった。言い得て妙)でもって言いたいことをいった!? にじりこまれて逆流した屁は腸で煮えくり返り悪くすれば腸閉塞になったに違いない。ゆめゆめ悲しみを腹に収めておくべきではないのだ。ではどうすればよいのか。有り難いことに世はあげてカラオケ時代。音痴であろうとボックスを借り切っての好いた同士でチャンチキオケサなら他人迷惑にはならない。要するに発散するのだ。オナラも独りでならば,おかしくもないし被害も少ない。自前の屁はむしろいとおしいほどのものである。盛大にぶっ放すのは痔持ちでなければ衛生上大変よろしい。同様に声に出す,つまりしゃべるのもよい。私事で恐縮だが,先日6時間放談したら翌朝快便,ベルトの穴2つ縮小したには驚いた。かくいう私も溜まっていたのである。もの言わぬは腹ふくるるなりと古人は言った。心理的にも肉体的にもそれは言える。蛇足ながら,大腸の末端である痔の特効ツボは肺経の孔最という手の内側にある。
 昔々,東京でプロ歌手を治療していた。肺と大腸の手当てで声の質と量,耐久度が増すので,録音スタッフから事前に治療するように依頼があったものだ。また,下痢をすると声が出なくなるという。アマは咽(のど)で歌うからどうということはないが,プロは腹から声を出すのでガスが洩れては力が出なくなるというのだ。
 ”小指が痛い……”という歌で知られたその人は,親指と人差指を噛んでもらった方がよかった。なぜならそれは肺と大腸の大事なツボだから。ともあれ,テキサスの二人は,いじめを理解し“許す”ことで快方に向かった。
 深夜にハイウェーをぶっ飛ばすバイク野郎が,やけ糞みたいに排気音を吹かせる。あれは,女性にふられた悲しみと鬱憤を,グォオーツと放屁一発。天下の大道に哭いて吠える野性の呼び声かと思えば可哀想でもある。当方は腹が立ち,野郎共は腹がスカッとするのかと思うと,何やら哀愁漂よう気がしないでもない。

         (ハワイ・ホノルル在住)

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